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東京地方裁判所 昭和37年(タ)298号 判決 1963年5月13日

原告 木村敏子

右訴訟代理人弁護士 小倉迪子

被告 木村通敏

主文

原告と被告とを離婚する。

原告、被告間の長男敏弘(昭和三三年四月八日生)、二男敏行(昭和三四年五月一五日生)の親権者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

その方式、趣旨から真正に成立した公文書と認め得る甲第一号証≪中略≫を綜合すると次の諸事実を認めることができる。

原告は昭和三三年五月二七日結婚式を挙げて同棲し、同年九月一八日婚姻届を了し、両名の子として昭和三三年四月八日長男敏弘を、同三四年五月一五日二男敏行を出産した。被告は結婚当時両親から月五、〇〇〇円の仕送りを受けていたが、全国建築労働組合に就職した後は、右の仕送りを断り、その後間もなく右の勤務先も辞したので、原、被告の婚姻生活は経済的に困窮して行つた。同年九月頃、被告は杉世区高円寺四丁目に移転したが、依然就職せず、偶々就職しても永続せずそのため原告は内職によつて生活費を稼ぐほかなく、昭和三四年一二月には遂に被告の了解を得てキヤバレーに勤務することとなつた。しかし被告は子供の面倒をみないため、近所に預ける外なかつた。昭和三五年三月頃被告の両親は原、被告の生活状態を目撃して驚き、協議のうえ子供等をその実家に連れ戻つた。同年五月頃、原告は被告が経済的に依頼心が強過ぎることに愛想をつかし、反省を求めるため、被告と別居し、上高田所在のアパートに単身移つた。被告は協議のうえ別居して就職したが、右の職も永続きせず、原告の別居に憤慨して、他の女性と結婚するため離婚したいと申し入れたり、またこれを撤回したりして嫌がらせをしていた。昭和三六年春頃被告は住所を出て所在をくらました。被告はその後原告に殊更住所を明らかにしないで手紙を送り、一方では原告との夫婦生活の復活を望みながら他方ではこのままでは原告を子供等の母として扱わない旨を宣言して悔悟を求め、更に居所不明にしたのは原告の離婚訴訟を不可能ならしめる計略であるなどを書き送つて寄した。しかし被告の住所はその両親にも不明であり、両親も被告は我侭であり、原、被告不和のもとは生活苦であると考えている。以上の諸事実を確めることができ右認定を左右するに足る証拠はない。

右の認定諸事実からすると、結局原、被告の家庭生活は被告に勤労意欲がないため経済的困窮に陥り、その維持が困難になつたものであり、また、原告がその反省を求めて別居を提案し、自ら働きに出たのに、被告はその我侭な性格から、原告の生活態度を非難し、原告を困惑させるために昭和三六年春以来その所在を晦まし、居所を秘したまま一方的に原告に悔悟を求める手紙を送りつける態度に出て原告との夫婦生活につき進んで原告に協力する意思努力をしていないものと認めるのが相当であり、右判示諸事実は原告にとり婚姻を継続し難い重大な事由といわなければならない。しからば被告に対し離婚を求める原告の本訴請求は理由がある。

次に親権者の指定の点について判断するに、上段認定のように長男敏弘、二男敏行は昭和三五年頃、原、被告の生活が困窮したため、被告の両親が手許にこれを引取り、爾来、両名がこれを養育しているものであるけれども原告本人尋問の結果によれば、原告も現在相当額の月収があり、且つ子等の判示年令並びに上段判示の各事情を勘按すれば、親権者としてはこれを原告と指定するのを相当と思料する。

よつて原告の本訴離婚請求を認容し、二子の親権者はこれを原告と定めるものとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄)

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